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1月18日のデボーション
1月18日 救いの恩恵―御わざの完成
あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。(ピリピ1:6)
自分の救いのために、あなた自身は何もしていないことを知っていましたか?イエスが全部してくださいました。私たちは、ただイエスが備えてくださったものを受け取っただけです。イエスが私たちの罪や病を背負って十字架にかかられた時、すべては完成しました。そして、私たちは、イエスのその愛を知り、心を開いてイエスを受け入れました。
悲しむべきことですが、このようにして救われた人生を歩み始めたのにもかかわらず、しばらくすると、神から何かを受け取るために自分も何かしなければならないと考え直す人が多くいます。聖書は、神がキリストにおいて、すべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださったと教えています(エペソ1:3)。ここでは、神がこれから私たちを祝福してくださるとは書いてありません。すでに祝福してくださったと書いてあります。それは完了しているのです。私たちの信仰はイエス・キリストの血潮にあります。いやしも奇跡も信仰によってなされるのです。もし自分の働きによって神から何かを受け取れるのだとしたら、恵みの御座の前で、自らを誇ることになります。しかし、私たちはすべてを神の恵みのゆえに受け取っているのですから、誰ひとり誇ることはできないのです。
すべての霊的祝福はわたしたちのものです。聖霊は、神が御子の血によってあなたのために買い取ってくださったものが何であるかを示すために、あなたのうちにおられるのです。私たちがすべきことは、ただ主が定められた時に、それらの祝福を必ず与えてくださると堅く信じるだけです。私たちは神に懇願する必要はありません。しかし、主にそれを求め、その現われを目にする前に霊において受け取らなければなりません。主がそれを完成させてくださいます。主が、あなたの人生に対する御計画を成し遂げてくださるのです。自分の人生を主に捧げましょう。
宣言:父なる神様、あなたは御自分が始められたことを完成させてくださる方であると信じます。私は、自分の肉の働きをやめます。そして、私を通して、あなたが御自分の人生を生きてくださると信じます。今日一日、主にあって安息することを選び取ります。
今日の聖書通読箇所:朝―創世記19章、マタイ18章
夜―ネヘミヤ8章、使徒18章
- 2006-01-16 |
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