キリストのさばきの座に立つクリスチャンたち
ヘブル9:27には、「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように…」と書き記されています。そこで人間はみな、神との謁見を果たしますが、すべての信者は永遠にまで至る報いを受けるために、「キリストのさばきの座」の前で主との謁見を果たすようになります。使徒パウロは二度も私たちに、すべての信者は「キリストのさばきの座」に現れるようになると教えています(ローマ14:10、IIコリント5:10)。「キリストのさばきの座」は、罪の宣告や糾弾といった場所になるのではなく、報いを受け取る場所になります。パウロは、自分がキリストのさばきの座に立って恥じることのないよう、イエスのために労苦して働いていると言いました。パウロはまた、信者は天国で自分の報いを失うかも知れないゆえ、他の人々をさばくことをやめるべきであるとも教えています。「信者のライフスタイル」は、天国においてその人が受け取る報いを決定づけるでしょうか? 新約聖書によれば、その答えは「はい、その通り」です。新しい天と新しい地では、すべての人が同じ報いと同じ特権に預かるわけではありません。そう、すべての真のイエスの信者は確かに天国に入りますが、天国でそれぞれの信者が持つものや、行なうものは異なります。信者がイエスとその御国に仕えることを選んだ後、その人が地上で行なったことに応じてイエス・キリストはそれぞれの信者をさばくようになります。使徒的スクールのこのコースは、信者が「天国」と呼ばれている国に移った時に失望することのないよう、すべての信者を助けていくでしょう。イエスは、地上での私たちの働きに応じて、私たちに報いてくださいます。
このコースで教えていくトピックは、以下のようなものです。
- 信者のさばきと未信者のさばきとの違いとは、何でしょう?
- 天国でさらに多くの報いを受けるために、私たちは何ができるのでしょう?
- 異なる さばきのレベルとは、どういったものでしょう?
- イエスに仕えた後、私たちは自分の報いを失うこともあるのでしょうか?
- 一部の人々は天国において支配するが、他の人々は支配できないといったことについて、聖書
は何と言っているのでしょう?
- それぞれが迎える「さばきの日」に、イエスが求めている10の事柄とは何でしょう?
- 信者はみな、天国で冠を受け取るのでしょうか?
- 信者として、永遠に私たちは何を支配するのでしょう?
- 一部の信者は、なぜ天使たちをさばくようになるのでしょう?
- 一部の人々はなぜ天国で泣いているのでしょう? それは喜びの涙でしょうか? あるいは後悔
の涙でしょうか? |