手を置くミニストリー ー神の力を受けて流すー
聖書は私たちに、手を置くミニストリーはすべての信者が聞き、理解しなければならない土台となる四番目の教義であることを教えています(ヘブル6:1〜2)。イエスも、すべての信者がその手を病人に置くことができ、病人は回復すると教えました(マルコ16:18)。神はなぜ、ご自身の力を分与するために私たちの手を用いるのでしょう? 神はご自身の聖霊と力を分与するために、私たちの手を用いることを選ばれました。神は私たちに、手を置くことによって、他の人々にご自身の賜物を分与して欲しいとも望んでおられます。
このコースでは、私たちは手を置くことの目的を知ることになります。私たちは聖書から、私たちの手を通して、私たちが他の人々にどのようにして分与できるのかを学んでいきます。私たちは手を置くことを通して臨む分与を、どのようにして受け取るのかについても学んでいきます。しかし、聖書が私たちに、手を置くことの危険性について私たちに警告していることも知らなければなりません。私たちは聖書からの警告を知り、学ばなければなりません。
聖書は、手を置くことを通して、私たちが分与を受け取るためのステップを踏む必要があること、
また私たちが受け取った分与を保つ必要があることも私たちに教えています。私たちが受け取った
ものを失う可能性はあるのでしょうか? このコースは、手を置くという私たちのミニストリーを活性化するコースとなります。すべての信者は人々に手を置き、そうして神の力を現わすよう、イエスによって召されているのです!
このコースでは、私たちは以下のトピックをカバーします。
- ご自身の力を分与するために、神はなぜ私たちの手を用いるのか?
- 「手を置くこと」の目的とは何か?
- 私たちはどのようにして賜物の数々を分与することができるのか?
- 私たちはどのようにして分与を受け取ることができるのか?
- 分与の危険性とは?
- 分与を通して私たちが受け取ったものを失う可能性はあるのか?
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